キミノカケラワタシノカケラ

少しずつ。前に進まなければならないのか?

3.11

私がこの日を悼むのを。

 

もう一人の私がみている気がする。

 

 

 

体感していない。

遠い地にいて知らずにいたあの時間。

私には本当の怖さはわからない。

 

 

それを素直に認めて。

それでも日本人として添いたいと思う。

 

だから私はできることだけをする。

 

 

 

募金は欠かさない。

 

少額ずつを必ずする事に。

 

 

ああでも、3.11が近くなれば募金箱も

出てくるのだけれど。

 

普段はその災害に合わせた募金箱に募金を。

 

 

 

小銭を一つ、二つ。

 

 

必ず続けられるように大金は入れない。

 

 

 

 

続けられる事こそが。

 

 

体感していない私にできる一つのことではないのかと思うのだ。

 

 

 

でも年月が過ぎる度に。

色々と見失いそうになる。

 

あの日、遅れて知った。

あの日の痛みを忘れないように。

 

 

今日は1日を噛みしめる。

 

 

 

 

私に出来ることなどそうはない。

手を合わせる、祈る、

わかっている。

ただのエゴに近い事も。

 

でも。

 

 

続けなければならない。

 

 

 

 

それが私に出来る一つの事だから。

 

 

 

 

 

祈りたいのだ。

 

私にも出来ることを探し続けながら。

 

 

 

あの日の。

 

自分の無知さと体感してないからこその

偽善も全部目の前で受け止める覚悟で。

 

 

 

何が出来ると言われたら。

 

 

言葉は続かない。

 

 

 

でも、忘れないでいる。

 

 

 

 

 

 

この軋むような胸の痛みも。

 

何に対しての涙かもはっきりしないけど。

 

 

 

それでも私は今日を生きているから。

 

 

 

亡くなられた方々、まだ見つからない方々。

 

慮る事しかできず。

 

 

静かに手を合わせるしかできず。

 

 

 

 

でも、覚えています。

あの日の衝撃も。

恐怖も、焦りも。

無力感も。

 

 

だから、考えます。

 

 

 

3.11

 

 

 

私に出来ることを。