キミノカケラワタシノカケラ

少しずつ。前に進まなければならないのか?

娘が七歳になった時の言葉

私が前のブログで綴っていたものを。

少しずつこちらにも。

 

 

 

仕事をはじめてから。


土曜日の仕事の時、主人が休みじゃない泊まり明けの時。


お弁当を作って、お留守番。

いつもは土日の泊まり明けの日は。
10時くらいに帰れるはずが。
急に仕事が伸びて帰れなくなって。


結局子供達だけでお留守番させてしまった時。


携帯に入ってた主人のメールを見て。

慌てて息子の携帯に電話。

 

のんびりと。

 

「大丈夫。弁当食ったし、気をつけて帰ればー」by息子

「おかーさーん、お弁当食べたよー。美味しかったよー。プレゼントあるよ?
気をつけて帰ってきてー」by娘


慌てて帰るけど通勤約30分。

 

帰り着くと。

済ませた宿題。

食べて良いと置いてあったお菓子。
のとなりに更にアイスの棒二本。

空っぽのお弁当箱。の上に。


置いてあったお手紙。

 

娘は。


今日七歳になりました。

 

息子が、緊急の帝王切開になったので。
娘は予定帝王切開で産まれました。


産まれた時には。

左まぶたのところに赤い痣があり。

赤ちゃんの紅斑は消えるとはいえ。
心配しました。


二人目で手がかからず。


私に似て、本と音楽と絵が好きで。
主人に似て、マイペースで。


いつも笑っている。

 

嫌なことがあっても飲み込む癖があり。
教室でも騒がずに。
本を読んだり絵を書いているらしい。


そんな娘を心配しますが。


彼女は生まれ落ちた時点で。

私の手を離れて。

一人の人として生きていかなくちゃいけないんだけど。

 

母親だから。


彼女に降りかかる、全ての厄災を。
取り除いてあげたいし。
これから歩いて行く道の石をどけてあげたい。
転ばないように、つまづかないように。


そんなこと、出来っこないのに。

逆に。

自ら転んでも立ち上がり、転がる石を踏み散らかし。
強く生きて欲しい。


とも思う。


そう思うのが母親です。

 

手を出したいのを堪え。
ぐっと我慢をするとき。
何処まで見守り、何処から手を出すか。
毎日、毎日。
見極めるのに必死です。


顔を見れば楽しかったか、悲しかったかわかる。

顔を見れば、嬉しかったか辛かったかわかる。

 


ランドセルを背負って。
一人で歩いていく。
重い手提げを兄に持ってもらうという。
ちゃっかりさも兼ね備えて。


一年前までは。


幼稚園に送り迎えをし。

お迎えの度に抱きついてきた娘。


手を繋ぎ、一緒に歩き、歌を歌い。
一緒に帰ってた日々。
なんて幸せな日々。


いまは。


学校の話をし、字を書き、計算をし。
一人で友達の家に出かける。


彼女の世界が毎日少しずつ広がり。


私はそれを嬉しく思うと共に。
悲しくもある。
勝手なもんだ、親なんて。


でも、産まれてきてくれたこと。
健康である事。
立ち上がったあの日、初めて話した時。
一緒に手をつないで歩いた日々。

そして、いまでも差し出される手を繋ぎ。
ほっぺを挟み、くすぐって笑い合う。


そんな幸せを、娘は無条件にくれる。


朝一。


目が覚めた娘が降りてきて。

おかーさーん、おはよー。

 

なんて幸せなんだろう。

 

抱きしめて、一番に。


「お誕生日おめでとう。⚪︎⚪︎⚪︎、産まれてきてくれてありがとう。
無事に一年過ごせてありがとう。
また、来年も一番に言うからね。」


そう言うと。


「6歳になった時もそれ言ったー。
おかーさーん、ありがとうー!」

 

小さな手で。

抱きついてきた。

 

七歳おめでとう。


あなたのこの一年が。


得難い一年間になりますように。

あなたのそばで。

見守り。


そして一緒に成長したい。


あなたのこの一年が。


素晴らしいものでありますように。

そしてこれからも。


あなたの笑顔で幸せになる私がいることを。

どうか忘れずに過ごしてね。